ぐらんぼん

乱読・積読・併読の本の虫による書評。

『秋瑾 火焔の女』 山崎厚子

秋瑾火焔の女
幕末時代、日本の将来を憂えた志士たちに危機感としてあったのが、中国(当時の清)の姿である。
アヘン戦争敗北後の中国は、西欧列強諸国に食いものにされ混沌としていた。西洋人が我が物顔で振る舞う一方、中国人たちは塗炭の苦しみを舐めていたのだ。
そんな屈辱的な祖国を見かねた人間が続々と立ち上がり、清朝崩壊・近代中国の誕生を成し遂げていく。その革命に殉じた者の中に、燦然と輝く女性闘士がいた。本書は、“中国革命のジャンヌ・ダルク”と称された秋瑾(しゅうきん)の生涯を描いた一冊である。

『のぼうの城』 和田竜

のぼうの城
売れている、らしい。
ちなみに直木賞候補作である(伊坂幸太郎が辞退して話題になっている、あの)。
店頭でカバーを見たとき、「おぉ〜、ついに歴史小説にもラノベの風が!」と思ったのだが、存外普通の歴史小説だった。戦国時代はもともと弱いので、忍城攻防戦も、城代・成田長親の存在も知らなかった。

舞台は、現在の埼玉県行田市に位置する武州忍城。
豊臣秀吉の大軍(総大将は石田光成)に包囲され、家臣の意見が降伏に傾く中、「のぼう様」の愛称で領民に親しまれる長親は戦うことを決意。愚鈍で「でくのぼう」と思われていたこの男が、大谷吉継をして「この城、敵に廻したは間違いか」と後悔させるほどの徹底した籠城戦を繰り広げるのである。
二万三千の軍勢を迎え撃つ忍城軍は、たったの五百。圧倒的な兵力の差をいかにして耐え、勝利にもっていったのか。酒見賢一の『墨攻』を彷彿とさせる攻防戦の様子を、痛快に描き出した物語だ。

『白河夜船』 吉本ばなな

白河夜船 (角川文庫)
読書というのは、つくづく個人的なものだと思う。
そして本を読む「わたし」自身も、刻々と変化しており、置かれた状況や、精神状態、経験などによって、同じ本を読んでもひとつとして同じものはない。傑作に思えた作品が、しばらくして再読すると凡庸なものに感じてしまうことなど、ざらである。けれど、それがまた面白い。

本書を久しぶりに読み返してみた。
吉本ばななの作品は、心底疲れたときによく効く。風邪をひいたら薬を飲むのと同じように、心がぼろぼろで、どうしようもなく疲れてしまったら、彼女の本を開くといい。
彼女の作品はだいたい好きだが、この『白河夜船』は、格別の思い入れのある一冊である。それは、本書の主人公と同じで、私も死んだように眠り続けていたからである。当時の私は精神的にかなりまいっていて、昼と夜の区別なく、いつ眠りについたか分からないくらい、夢と現のはざまを彷徨っていた。このままではいけない。理性はか細い声でそう訴えるのだが、身体は頑として従おうとしない。ようやく目覚めると自己嫌悪に陥る。その繰り返しだった。
そんな状態の中で読んだ本書に、正直私は救われた。「眠る」という行為に、罪悪感を抱かなくなったのだ。休んでいいのだ、と思えた。そして、どんなに情けない自分でもありのままに受け入れられるようになった。ほんの小さな変化だが、そのとき心のベクトルが確かに変わったのだ。

『たすけ鍼』 山本一力

たすけ鍼
舞台は、天保年間の深川。
ここに、“ツボ師”の異名を取る凄腕の鍼灸師がいた。還暦を迎えてなお矍鑠としており、日々多くの患者たちの治療にあたり、子どもたちに自分の技術を教える寺子屋も開くというパワフルさ。全国の還暦世代に活を入れるかのような、ニューヒーローの登場である。

本書は、この鍼灸師・染谷(せんこく)を中心にして、町人や船頭、川並(いかだ乗り)、大工、芸者など、深川で暮らす市井の庶民の姿を生き生きと描いた時代小説である。山本一力さんの“深川モノ”が好きな人は、安心して身を委ねられる一冊である。

『銀しゃり』 山本一力

銀しゃり
職人の意地と人情 ★★★☆☆ /><br clear=

山本一力の小説には、職人や、足を使う職業の人間がよく登場する。
豆腐職人、大工、飛脚・・・。本書もまた、職人を描いた物語である。主人公は、鮨職人の青年。その親友の順平は、棒手振(ぼてふり)を生業としている。
作者は、自分の身体を使ってものを作り出し、社会に貢献する人間を、好んで描く。対して、自分では何も生み出さないのに、態度だけは立派な人間を嫌悪する。