ぐらんぼん

乱読・積読・併読の本の虫による書評。

『初恋』 イワン・セルゲーエヴィチ・トゥルゲーネフ

初恋 (光文社古典新訳文庫)
本書を手にして、自身の初恋にしばし思いを馳せる人は少なくないのではないか。
初恋なんて、その存在に気づいた時にはもう通り過ぎてしまっているものだと思うが、ウラジミールのような体験をすれば、忘れ難い想い出になるのだろう。
物語は、真夜中の一室で三人の男たちが自分の初恋について語るところから始まる。二人はとりたてて面白いエピソードではなく、最後の男に期待が集まる。40歳前後のその男はもったいぶるように、自身の体験を手記に書いてきてそれを他の二人に読み聞かせる。その手記が、本書のメインである。

16歳のウラジミールは、5歳年上の公爵令嬢・ジナイーダに恋をする。初恋にしては遅いが、真面目な貴族のお坊ちゃんなら、年頃の女性と出会う機会も少なかったのかもしれない。はじめて芽生えた感情に戸惑いながら、彼女の一挙手一投足に狂喜乱舞するウラジミール少年。
このあたり、恋愛中の心理状態をうまく描いていて、身につまされるものがある。ああ、分かるなぁと特に共感したのが、この文章。

あるときその壁にすわって、遠くに目をやり、鐘の音に耳をすましていると、不意に何かが体の中を走り抜けていきました―そよ風のようでそよ風でなく、おののきでもなく、まるで何かの息吹き、だれかがそばにいるような感覚といったらいいのでしょうか。下を見ると、薄いグレーのドレスを着てピンクの日傘を肩に載せたジナイーダが、急ぎ足で道を歩いているではありませんか。(P.89)

吉本ばななの小説に、恋人からの電話の呼び出し音を聞き分けられる女性が出てきたが、恋をするとなにかレーダーでも働くのだろうか、その相手限定で感覚が研ぎ澄まされる気がする。
最初、人を小馬鹿にしたような態度のジナイーダに好感がもてなかったのだが、読み進めるうちに彼女のことがなんとなく分かるようになった。彼女は、自分の心に正直な女性なのだ。はなから、言い寄ってくるひ弱な男たちは眼中にない。弟の世話を任せられたウラジミールには同情を禁じえないが、恋は利己的なものだ。逆に、好きな男の前では借りてきた猫みたいになるところなんて、可愛いなぁと思ってしまう。
『初恋』は、美しい自然描写とあいまって、ウラジミールとジナイーダの初恋が甘くも切ないトーンで映し出されていく。作品の考察については訳者の解説に詳しいので、そちらに譲る。ただ敢えて言わせてもらうなら、私は最後のお婆さんの死の場面も余計だと思う。道徳的なものを求める当時のロシアの事情は分かるが、作為的で押し付けがましく感じた。

ところで、本書を読み終えたあと本棚を整理していたら、奥から新潮文庫の『はつ恋』が出てきた。そういえば、ずっと前に買ったまま放置していたのだった。
今回の新訳では、「です・ます」調になったのが大きな変化である。他方、神西訳(新潮文庫)では、ジナイーダの取り巻き男性たちを言葉づかいで書き分けており、イメージしやすい。ジナイーダが、ウラジミールにプーシキンの詩を朗読してもらう場面があるのだが、なぜ沼野訳では神西訳のように注釈で詩の大意を載せなかったのだろうか。この詩を素通りすると、すぐ後で詩の一部を繰り返す彼女の真意を掴みかねると思う。
翻訳の違いで面白いのが、ジナイーダがウラジミールの父親に鞭で打たれる、最も印象的なシーンである。この少し前に、父親は彼女に何かを言っているのだが、その台詞のニュアンスが微妙に異なっている。神西訳の方が遠まわしな表現なので、もしかしたら私は会話の意味が理解できなかったかもしれない。
ただ、新潮文庫の後ろに書かれた作品紹介文はいかがなものか。ネタバレもいいところである。ミステリーではないが、ジナイーダの振る舞いから推察していく方が、恋の過程を見るようで、断然楽しめる。

ロシア 沼野恭子・翻訳

映画を観る
Lover`s Prayer はつ恋
Lover`s Prayer はつ恋

キルスティン・ダンスト ニック・スタール ジュリー・ウォルターズ
ケンメディア 2007-06-22
自分もこの本を読んで、初恋に思いを馳せた口です。
何のドラマ性もないものなので馳せても仕方ないのですが。

僕は読む前に映画版を先に見てしまったため、
映画の映像がちらちらしてしまいちょっと残念でした。
映画版は色々と表現不足で物足りなかったのですが、
原作を読んで、色々とすっきりしました。

しかしながら、ジナイーダには最後まで「彼女はなしだろ!」感は拭えず・・・。
[ 2008/04/18 01:34 ] [ 編集 ]
映画になっているとは知りませんでした。
2時間程度にまとめるとなると、アウトラインをなぞって終わってしまうかもしれませんね。
小説の文章はほんとうに美しくて、うっとりします。

ジナイーダって、人気ないですよね・・・。
男性より女性の共感を集めるキャラクターのような気がします。
わたしは、どちらかというと取り巻き連中の方が「なし」でした。
[ 2008/04/18 21:15 ] [ 編集 ]
ぐらんぼんさんの書評はとても面白くて、
どの本も片っ端から読みたくなって困ります。
「恋人からの電話の音を聞き分けられる・・・」とありましたが、
私の友人は、間違い電話の音を聞き分けられます。
私も、三人の子ども達が乳児の時に、
夜中でも、泣く寸前に目が覚めました。
人間の第六感レーダーは、研ぎ澄まされると
蘇るものなのですね(笑)。
[ 2008/04/19 19:02 ] [ 編集 ]
なんなんでしょうね、この能力。
科学が解明していない人体の不思議でしょうか。
くさい言い方ですけど、“愛”がポイントなのかもしれませんね。
あ、でも間違い電話の音はちょっと違うか〜。
分かっても、あんまり嬉しくないような・・・。
[ 2008/04/19 20:54 ] [ 編集 ]
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[2008/04/18 01:35] Andre\'s Review