『シカゴよりこわい町』『シカゴより好きな町』 リチャード・ペック

舞台は、禁酒法時代のとある田舎町。
噂話が大好きな人々の暮らすのどかな町が、都会っ子の兄妹にとってはアル・カポネらギャングがはびこるシカゴよりもこわい場所だった。なぜならそこには、豪胆で型破りなおばあちゃんがいるから。
『佐賀のがばいばあちゃん』が大ベストセラーになったが、これは言うなれば、イリノイ州の「がばいばあちゃん」である(英語ならどんな表現になるのだろう。greatでは上品過ぎる気がする)。
とにかく、やることなすこと常識外れ。銃はぶっ放す、嘘はつく、悪ガキどもは容赦なくやっつける、法律は無視する・・・。人付き合いが嫌いでわが道を行く変わり者なのに、町の人々からは一目置かれているという存在感。か弱くて可愛いらしい老女とはほど遠い、スーパー・おばあちゃんなのだ。
そんなおばあちゃんの元へ、毎年夏になるとシカゴからジョーイと妹のメアリ・アリスの兄妹が訪れる。『シカゴよりこわい町』は、成長したジョーイが祖母と過ごした夏を回想する形式で描かれた連作短篇集である。
このおばあちゃん、子どものお手本とはいい難い大人なのだが、自分なりの正義感をもっていてスカッと胸のすくようなことをしてくれる。素っ気無い態度のなかに、優しさや愛情がにじみ出ていて、心がじんわりとあたたかくなるのだ。ブラックユーモアに近い騒動が物語の大半を占めるだけに、不意に現れるおばあちゃんの優しさには、ほろりとしてしまう。
本書では、1929年〜1935年に過ごしたジョーイ兄妹の子ども時代と、少し間を置いて戦時中の1942年のひとコマが描かれているのだが、ラストシーンは映像を閉じ込めたくなるぐらい美しい。

続篇となる『シカゴより好きな町』は、15歳になった妹のメアリ・アリスが主人公。
不況の煽りを受けて家を失ったメアリ・アリスは、両親と離れて田舎の祖母の家にやっかいになることに。あのおばあちゃんと、である。しかも兄のジョーイは一緒でなく、滞在もほんの一週間では済まないのだ。前作とは違い本書には、貧窮、一家離散が影を落としている。後ろ髪の引かれるような思いとこれから始まる生活に不安を抱えながら、メアリ・アリスが祖母の待つ田舎町に降り立つ最初のシーンが印象的である。
とはいえ、心細くなっている孫を抱きしめるでもなく、さも面倒くさそうに迎え入れるおばあちゃんはやはり変わらない。人を食ったような振る舞いも健在である。なんだかそれだけで嬉しくなってしまう。
あの素晴らしい前作を越えるものを書くのは、さぞかしハードルが高かったことだろう。だが、私は本書の方がおもしろいと思う。アメリカの優れた児童書に贈られるニューベリー賞に輝いているのも、充分肯ける作品だ。
多分、メアリ・アリスが語り手になったのがいいのだと思う。少女といえども女性ならではの視点がおもしろい。女二人の共同生活や、彼女とおばあちゃんとのやり取りが生き生きとしているし、ときおり挟まれる彼女の冷静な突っ込みにも笑ってしまう。おばあちゃんの破天荒な行動に眉をひそめるメアリ・アリスだが、彼女もしっかりその血を受け継いでいるのだ。いじわるな級友に負けない気の強さも、年老いた祖母をいたわる情の深さも。
本書では、最初は嫌々やって来たメアリ・アリスがおばあちゃんと一緒に過ごすうちに徐々に大人になっていく姿が、田舎町の情景をバックにゆったりとした時間の流れのなかで映し出されていく。
子どもも大人も老人も、皆必死で生きている。したたかに、たくましく、そして愛情豊かに―。日々の暮らしを慈しむ人たちの息づかいが伝わってくるのが、この作品の魅力ではないだろうか。古きよきアメリカを懐かしむような、ノスタルジー漂う作品である。
また、豪快なおばあちゃんが魅力的なのはもちろんだが、そんなおばあちゃんを受け入れる(けっして歓迎ムードではないが)町の人々の懐の深さにも感じ入る。隣は何をする人ぞ、となった現代からすると、リチャード・ペックの描く田舎町に、失ってしまったものに対する郷愁にも似た憧憬の念を抱いてしまうのだ。
それにしても、おばあちゃんの作るスグリのパイを食べたくてたまらない。
■原書で読む

A Long Way from Chicago
Richard Peck
Puffin 2000-10

A Year Down Yonder
Richard Peck
Puffin 2002-12
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