ぐらんぼん

乱読・積読・併読の本の虫による書評。

『ヒトラー・マネー』 ローレンス・マルキン

ヒトラー・マネー
手元の福沢諭吉を、まじまじと見つめる。
光にかざすと、真ん中からもう一人の諭吉が顔を覗かせ、左下では、新たに付け加えられた銀色のシールがNIPPON GINKOを主張している。こんな吹けば飛ぶような紙が、人を一喜一憂させ犯罪にまで走らせるのだから、おかしなものである。
一体ぜんたい、お金とは何だろう?経済学の教科書にはもっともな説明が載っているが要は、ただの紙が人々の「信用」で支えられ、特別な地位を得ているのである。では、この信用とは何だろう?目には見えないが、たしかにある大事なもの。けれど、不断の努力がないとすぐに失われてしまうデリケートなもの。
ナチス・ドイツが第二次大戦中にイギリスに対して仕掛けた偽札攻撃の全貌を描いた本書は、貨幣経済の本質について考えさせてくれる好著である。

通貨戦争の歴史は古く、古代ギリシアまで遡る。
第二次世界大戦時、偽造通貨で敵国を混乱に陥れようとする作戦に目をつけたのは、なにもドイツだけではない。作家のスタインベックがルーズベルトに箴言し、チャーチルが大蔵大臣に諮問していた事実が本書で明かされている。
にもかかわらず、なぜアメリカとイギリスはその意見を却下したのか。ここが、まさに紙幣の本質にかかわってくるところなのだ。原爆投下は決定しても偽札造りには躊躇うことがどうも解せないのだが、信用は命よりも大切なものと考えられていたのである。
さて、結果は歴史が語っているように、ポンド攻撃はドイツを勝利に導くものとならなかった。ただ、イギリス経済にとって手痛い打撃とはなった。戦争から60年以上経った最近になってようやく、イングランド銀行がドイツの偽ポンド作戦・通称「ベルンハルト作戦」を認めていることからも、そのダメージの大きさを窺い知ることができる。

エピローグでは、戦後偽ポンド札が辿った数奇な運命が書かれている。たんなる紙は、持ち主の手を離れ、自らの意思があるかのように人から人へと渡っていく。偽札の中に込められていたのは、死の恐怖と闘いながら生への希望を失わなかった造り手たちの執念なのかもしれない。
これまでベルンハルト作戦はひた隠しにされていたが、近年その実態が次々と明らかになってきた。強制収容所の囚人の中から適材を選び出し、収容所内で偽ポンド札を造らせる。外部から遮断された空間と、使い捨てられる人材は、秘密を守るのに最適だったのだ。
ナチス・ドイツの残虐非道ぶりは、言い過ぎることはないと思う。昨年末、従事者の一人で映画にもなった『ヒトラーの贋札』の著者・アドルフ・ブルガー氏が来日されたことは、記憶に新しい。おそらく、当事者の心中はそちらの方が詳しいだろう。本書は、各国のインテリジェンス戦略を知る上でも、とても興味深い一冊である。

原書で読む
Krueger's Men: The Secret Nazi Counterfeit Plot and the Prisoners of Block 19
Krueger's Men: The Secret Nazi Counterfeit Plot and the Prisoners of Block 19

Lawrence Malkin
Back Bay Books 2008-03-24
[ 2008/05/14 ] 歴史・伝記 | CM(0) | TB(0)
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